2018年 09月 08日
■不安定な母…と、わたしの関係。 |
前回までの「ニュー・アース」の学びでは
「親子関係」を見ていきました。
「親子関係」を見ていきました。
そこでも、少し触れましたが、
母との関係は、わたしの半生の課題の一つだったと
言えると思います。
母との関係は、わたしの半生の課題の一つだったと
言えると思います。
常に不安定な母…のもとで育った子供時代。
母に甘えた経験は一度もなく
母になにかを相談したこともありません。
母に甘えた経験は一度もなく
母になにかを相談したこともありません。
逆に、小さな私が、母から相談されることはよくありましてね
真剣に応えても、聞いてませんでしたがね(笑)
いや、聞けないんですよね…
不安に囚われすぎていて。
真剣に応えても、聞いてませんでしたがね(笑)
いや、聞けないんですよね…
不安に囚われすぎていて。
私自身は、小さいころから
母の許容範囲もわかっていましたね。
母の許容範囲もわかっていましたね。
母は、わがままやりたい放題。
(本人は、好きでそうやってたわけではなく、
不安から逃れるために、必死だったのよね~)
で、、わたしは、我慢する、いい子でいる。
じゃないと、子供の頃は生活していけない状態でしたね。
じゃないと、子供の頃は生活していけない状態でしたね。
それでないと、食事も平気でもらえなかったり
家からの締め出しも平気で出来る人でした。
他にも、人として扱ってもらえていないような行動は
たくさんありましたね。
家からの締め出しも平気で出来る人でした。
他にも、人として扱ってもらえていないような行動は
たくさんありましたね。
悪いことをしての罰としてではなく
完全に母の気分次第でした。
完全に母の気分次第でした。
わたしの一日は、今日の母の気分がどうかを見ることに
かかりっきりでした。
子ども時代を、子どもらしく生きてこなかったですね。
かかりっきりでした。
子ども時代を、子どもらしく生きてこなかったですね。
大人になり、家を出てからは
自分の人生を切り開いていこうとするのですが…
自分の人生を切り開いていこうとするのですが…
子ども時代の土台を作る段階が
思いっきり歪んだものだったので
人生、つまづき、転びの連続でした。
その頃のわたしの 無意識層(潜在意識)の思考は
「わたしは価値がない」
「愛される価値がない」
「わたしはありのままではダメ」
「わたしは充分でない」
「愛される価値がない」
「わたしはありのままではダメ」
「わたしは充分でない」
が占めていたんでしょう。
もちろん無意識なんで、その頃のわたしは気づいていません。
そして、その通りの現実が創り出されていきました。
今思い返すと、
本当の意味で、それに“気づく”までは、20年近くかかりました。
本当の意味で、それに“気づく”までは、20年近くかかりました。
その間の母との関係は、
相変わらず不安定な母…
離れていても、母自身が、不安に押しつぶされそうになると
連絡があり…
離れていても、母自身が、不安に押しつぶされそうになると
連絡があり…
まるで、母の母のような役割でした。
母は、不安を自分でなんとかするという発想はなく
なにかで埋める。という行動パターンを持ってるので
あるときは、それが旦那さん
あるときは、それがパチンコ
あるときは、それがお酒
あるときは、それが私
あるときは、それがお医者さん
…だったりします。
いわゆる 依存体質です。
そして、母にとっては、私という存在は
ある意味、自分の思い通りにしやすかったんでしょう(笑)
ある意味、自分の思い通りにしやすかったんでしょう(笑)
気づいたときには、
わたしと母は完全に不健康な「共依存」関係 になっていました。
そこから、抜け出すには、時間もそうですが
さまざまな学びが必要でした。
さまざまな学びが必要でした。
その時の辛い時期を乗り越え
今は、風通しのいい関係が築けています。
もちろん、母はなにも変わってませんよ。
わたしが変わったんです。
わたしが変わったんです。
そして、解決するには、それだけが大事なことでした。
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by a-new-earth
| 2018-09-08 07:26
| ∟アダルトチルドレン(AC)