2018年 05月 31日
◆本気で「現実に抵抗しない」生き方 |
「現実を受け入れる」、「現実に抵抗しない」、「世界をありのままに見る」
どれも同じ意味の言葉で、スピリチュアルな学びを深めてる方は
よく聴く言葉だと思います。
よく聴く言葉だと思います。
生き方のベースにこれがあるのとないのとでは、人生が全く違ってきます。
バイロン・ケイティは
「自分の考えが現実と闘っていることに気づくことが大切」だと言っています。
「自分の考えが現実と闘っていることに気づくことが大切」だと言っています。
現実に異を唱える頭の中の声…
「人はもっと思いやりをもつべきだ」
「子どもは行儀よくしなければならない」
「子供はもっと親を尊重すべきだ」
「隣の人はベランダでタバコを吸うべきじゃない」
「夫(妻)は私に賛成すべきだ」
「私はもっともっと痩せなければ(きれいにならなければ/成功しなければ)ならない」
「彼はもっと連絡してくるべきだ」
「子どもは行儀よくしなければならない」
「子供はもっと親を尊重すべきだ」
「隣の人はベランダでタバコを吸うべきじゃない」
「夫(妻)は私に賛成すべきだ」
「私はもっともっと痩せなければ(きれいにならなければ/成功しなければ)ならない」
「彼はもっと連絡してくるべきだ」
これらは、放っておくと普段わたしたちの頭の中に
めくるめく勢いで(笑)
やってくる声たち(思考)。
やってくる声たち(思考)。
全ては、現実に起こってることに対して、
現実が違うものであって欲しいと思うこと。
実にストレスばかりの毎日が繰り返されます。
実にストレスばかりの毎日が繰り返されます。
「現実を受け入れる」とは先の例だと
「人は思いやりをもっていない」
「子どもは行儀良くない」
「子どもは親を尊重しない」
「隣の人はベランダでタバコを吸う」
「夫(妻)は私に賛成すべきじゃない」
「私はもっともっと痩せてなくても(きれいでなくても/成功してなくても)いい」
「彼は連絡してこない」
「子どもは行儀良くない」
「子どもは親を尊重しない」
「隣の人はベランダでタバコを吸う」
「夫(妻)は私に賛成すべきじゃない」
「私はもっともっと痩せてなくても(きれいでなくても/成功してなくても)いい」
「彼は連絡してこない」
今目の前で展開してることは、
こっちの方が現実であって真実に近いですよね。
道徳的にどうかというのは、関係ありません。
現実がどうかが大切です。
道徳的にどうかというのは、関係ありません。
現実がどうかが大切です。
頭に湧き上がってくる現実への抵抗に気づき、
それを受け入れ始めると
ストレスなく人生はうんと楽になります。
ストレスなく人生はうんと楽になります。
ヤダヤダって現実に抵抗しても、勝ち目ないんです。
もちろん、嫌な現実を変えたいって願望はあって当然です。
その場合も、例えば
「彼はもっと連絡するべきだ」で悩み続けるよりは
「彼は全く連絡してこない」の現実を真っ正面から受け入れ
はい、じゃ~私はどうするの?何ができるの?
と考えるほうが、内面の葛藤がなくシンプルに生きられます。
ただ、ほとんどの人は、その方法が知らないだけ。
そして、実践していくと、
いつも心は穏やかで「愛と喜び」に満ちた日常になります。
内面が整ってくると、自然と外側も変化してきます。
内面が整ってくると、自然と外側も変化してきます。
世界は全て、自分の中の「投影」で成り立ってますからね(^^♪
by a-new-earth
| 2018-05-31 07:16
| ◇バイロン・ケイティ