2018年 05月 25日
第二章:⑦所有という幻 |
エックハルト・トール著「ニュー・アース」をテキストとして
日々の中で感じたこと、体験してることなどのまとめ日記です。
日々の中で感じたこと、体験してることなどのまとめ日記です。
※青文字の文章は、本文からの引用です。
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「ニュー・アース」
第二章 エゴという間違った自己のメカニズム
「ニュー・アース」
第二章 エゴという間違った自己のメカニズム
⑦所有という幻
前回までに、エゴの中身と構造をみていきました。
もう一度まとめると、
「わたしの~~」と自己同一化しているもの。
対象=人間関係・所有物・思考・身体・知識・肩書・感情・物語(自分の今までのストーリー)…
「多くの人は、死の床に就き外部的なものがすべてはげ落ちて初めて、どんなモノも自分とは何の関係もないことに気づく。死が近づくと、所有という概念そのものがまったく無意味であることが暴露される。」
「心の貧しい人は幸いです」これはイエスの言った有名なことば。
昔、プロテスタント系の教会に通って聖書を学んでいた時に、この一文に出会いました。
その時は、意味も解らず、心が病んでる人の事かい?
なんてアホな解釈しかしてませんでした(笑)
その答えが本文に
「心が貧しい」とはどういうことか?
心に何の持ち物もない、何にも自分を同一化(アイデンティファイ)していない、
ということだ。…
心に何の持ち物もない、何にも自分を同一化(アイデンティファイ)していない、
ということだ。…
そういう意味だったんですね♪
エゴの中身と構造が少しわかったところで、ここからちょっと深く入っていきます。
「東洋でも西洋でもスピリチュアルな実践では、所有が否定されてきた。しかし、所有を否定しても、それだけでエゴから解放されるわけではない。エゴは、何か別のものに、たとえば自分は物質的所有への関心を乗り越えた優れた人間だ、人よりもスピリチュアルなのだという精神的な自己イメージにアイデンティティを求めて生き延びようと図るだろう。すべての所有を否定しながら、億万長者よりも大きなエゴをもった人たちがいる。一つのアイデンティティを取り払うと、エゴはすぐに別のものを見つけ出す。」
その根底には、人と分離しているという強い思考があるからでしょうね。
どんな時でもどこまでも、他人よりも優位に立ちたいという心理。
どんな時でもどこまでも、他人よりも優位に立ちたいという心理。
エゴっていうのは、ほんとにしぶといんですよ。一つのエゴに気づいてそれを手放せたように思えても、すぐに他のモノへと同一化する傾向にあります。
注意深く観察していないと、巧妙な手口で、入り込んできます(笑)
「そういったアイデンティティを通じて、自分は正しくて他者は間違っていると考えることができる。この自分は正しくて他者は間違っているという考えはエゴイスティックな心の主たる
パターンの一つである。」
パターンの一つである。」
自分がエゴだと思っていないものも、自分のアイデンティティの強化の為に
執着してるものがあるかもしれませんね。
執着してるものがあるかもしれませんね。
自分は他人よりもスピリチュアルだ。とか
反対運動もつきつめれば、自分は正しいとする思考への執着。
わかりにくいエゴもあるので、自分が執着してるものは一度しっかり探ってみたほうが
いいかもしれませんね。
いいかもしれませんね。
最後に、モノに対する執着を手放すにはどうすればいいのか?
の答えが締めくくりにあります。
「そんなことは試みないほうがいい。モノに自分を見出そうとしなければ、モノへの執着は自然に消える。それまでは、自分はモノに執着していると気づくだけでいい。対象を失うか失う危険にさらされなければ、何かに執着している、つまり何かと自分を同一化していることがわからないかもしれない。失いそうになってあわてたり不安になるなら、それは執着だ。モノに自分を同一化していると気づけば、モノへの同一化は完全でなくなる。
「執着に気づいている、その気づきが私である」。それが意識の変容の第一歩だ。」
執着を手放そうとする必要はなくて。気づくだけでいい。
気づいたときには、その事との間にスペースができてるので、強固な同一化の鎖がほどけていくイメージですかね。
まずは、同一化してるものがない人は、ほぼいませんので(笑)
謙虚になって、自分が何に同一化しているのかに、気づくことが大切ですね♪
謙虚になって、自分が何に同一化しているのかに、気づくことが大切ですね♪
by a-new-earth
| 2018-05-25 17:34
| ∟ ニュー・アース